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幸福で世界を支配しようとした男の物語。

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世界でもっとも有名で、もっとも愛されている人物の名前は誰だろうかと考えたら、僕は迷わず「ウォルト・ディズニー」の名をあげます。死後70年近くたった今も、世界中の人々がディズニーの映画をみて涙を流し、ディズニーランドにいくことを待ちわびている。これ以上の偉業を僕は他に知りません。尊敬する経営者と言われても、やはりウォルト・ディズニーと答えます。

この本は、ウォルト・ディズニーの生涯をまとめたノンフィクションです。ディズニー社の許可をとり、緻密な取材をベースにまとめられていて、なんと600ページほどの厚さがあります。しかし読み始めると、きっとあっという間に読み終わってしまうでしょう。ウォルト・ディズニーの生涯はそれほど面白いものだからです。彼の人生は落ち着きのない、愉快なものでした。 その人生を、簡単にまとめてみようと思います。

本

彼の幼少期は、貧乏で決して楽ではないものでした。新聞配達でお金をかせぐ合間に、絵を書き始めたそうです。現実の世界に比べて、想像の世界のほうが楽しかったからです。床屋さんで「散髪代を自分の書いた絵で支払う」ということを申し出たのが「絵で商売をする」というはじめての経験となりました。その後18歳で家を離れ、絵で生きていこうと決めました。製作会社で下積みをし、20歳の頃には会社をスタートします。しかしながら始めた会社はすぐに潰れてしまいました。その後もう一度会社を始めるときに、ハリウッドを目指しします。絵を動かす「アニメーション」技術の進化に目を付けたからです。「これからはアニメーションだ」と、ウォルトはその野望だけを抱きハリウッドに辿りつきます。そして「しあわせウサギのオズワルド」が生まれました。

しかし、24歳の頃に、会社から追い出され、オズワルドの権利一切を奪われてしまいます。生来のクリエイターにありがちなように、熱狂的で独裁的なウォルトを周囲が煙たがったからです。ウォルトは文字通り一文無しとなり、せっかく大ヒットしたキャラクターも奪われてしまいました。(ウォルトが自分の作品の権利にうるさくなったのはこれが原因だといわれている)。しばらく絶望したのち、ウォルトは立ち直り、チャレンジすることを決意します。「オズワルドより、すばらしいキャラクターをつくろう」 そうして生まれたのは、誰もがご存知、ミッキーマウスです。ミッキーは、アメリカ中で大ヒットとなり、子供から大人まで、誰もがミッキーの虜になりました。その大衆性を否定する人たちはいたものの、基本的に、ウォルトは成功を収めることができました。

その後、ディズニーがすべてうまくいったかといえば、もちろんそんなことはありません。ウォルトには、あまり計画性がありませんでした。「いい作品」を生み出すことにしか興味がなかったからです。資金繰りはうまくいかず、何度も倒産の危機を迎えています。そのため、多くのスタッフの労力を使って生み出した利益も、次の作品作りにすぐに使わてしまいます。それを兄のロイがマネジメントしてくれていました。ロイの存在がなければ、ディズニーはここまで成長することはできなかっただろうと、多くの人が語り継いでいます。また、ウォルトは、仕事に関しては独裁的でした。「スタジオの任務は、ウォルト・ディズニーの名を売ることである」とつねに話しており、そこで働くスタッフたちの個人性は受け入れられませんでした。気性が荒く、すぐに怒り出すウォルトにスタッフや周囲は懸念を抱きました。なんでも自分の手柄にしようとするウォルトに苛立ち、去る者も多くいました。また、戦時中は、軍事にまつわる映像づくりを命じられ、作りたいものを作れない時期もありました。

それでもウォルト・ディズニー社は、人の心を動かす作品を作りつづけます。ミッキーのシリーズだけでなく、三匹の子豚、シンデレラ、白雪姫・・・・・アニメーションだけでなく、「わが心にかくも愛しき」「黄色い老犬」「ポリアンナ」などの実写映画、「砂漠は生きている」などのドキュメンタリーなど、意欲ある作品も多く生み出しました。

自然保護など社会的なテーマもはらんでいました。「バンビ」は狩猟をめぐる議論を巻き起こしました。また、芸術的な美しさ、思想の深さを求めるとどうじに、大衆にわかりやすく、直感的に届くというような、野心的な取り組みが多く取り入れられました。「ファンタジア」では、一般の人や子供たちが聞かない「音楽のすばらしさ」をミッキーというキャラクターと、アニメーションの技術を使って伝えていきました。

しかしウォルトの野望は、映像世界だけにとどまりませんでした。ディズニーランドの建設計画をスタートします。
ディズニーランドの始まりの地は、ウォルトの自宅でした。自宅の庭に「小さな汽車の模型を走らせる」ことをスタートしたのです。それは、ただ汽車が好きだったからです。自宅に来たお客さんを、必ずその汽車に乗せました。その自宅での遊びが、世界中にあるディズニーランドの原型だったのだと思います。

ランドの計画に関しては、誰もが無謀だと言いました。家族で楽しめるテーマパークなどつくれっこない。それに、テーマパークはすでにたくさんありました。ディズニーが入り込む余地などないと、誰もが言いました。しかしウォルトだけはそれができると信じていました。なぜなら彼の頭のなかには、誰もが想像できていない「ディズニーランド」のイメージが鮮明にあったからです。多額の借金をして、つくったディズニーランドは大成功を収めました。「アメリカ最高の都市デザイン」だと評されもしました。事前には「うまくいくわけない」と評されたディズニーランドは世界中につくられ、今も老若男女を問わずに幸福を生み出しています。

そんな彼をよく思わないひとは多くいました。「幼稚極まるポピュリズム」「大衆の悪趣味」「古典を大なしにした」という評価も少なくない。ディズニーは死ぬまで創造することをやめませんでした。ウォルトは、アメリカの文化と人々の意識を変革してしまった。ディズニーは過去を大事にすると同時に未来を志向していました。保守主義的であると同時に、予見に満ちていました。

ウォルト・ディズニーは65歳でその生涯の幕を閉じました。その死はあまりに大きく、世界中が祈りました。タイム紙にはこう掲載されました。「ディズニーは死んだ。しかし天真爛漫な彼のビジョン、彼が創造した夢は死なない。」そしてその通り、彼が亡くなって70年近くが経つ今でも、ウォルト・ディズニーは世界中で最も広く知られる人物の名前となりました。

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これほどまでに、世界に笑顔をもたらした人物を、僕は他に知りません。彼が亡くなってから、70年近くが経つ今この瞬間にも、誰かがディズニーランドで笑顔になり、映画を見ては涙を流している。クリエイティブに関わるすべての人に読んでほしいと思う一冊です。600ページほどですが、どのページを開いても面白いエピソードであふれています。つぎにディズニーランドに行くとき、きっとちょっと違う楽しみ方ができると思います。


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牧野圭太 Keita Makino 1984年生まれ 。コピーライターが読書を通して考えたことを書いていきます。テーマはことばやデザインやその他もろもろ。
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