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人生の教科書を探して 第2話 「マクベスは君だ」

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今日は本を読もう-01

第一話-前編はこちら
 ふたりの間には、文庫本・マクベスがある。青年は黙って、手に取り、ページをパラパラとめくる。知ってはいるけれど、読んだことのない本。

「簒奪(さんだつ)という言葉をご存知ですか」。
 探偵は椅子から立ち上がりながら言う。
「いいえ」、青年はページから目をあげる。
「王座を奪うことです。マクベスは王殺しの物語。欲望に運命を書き換えられた男の悲劇」。
「シェイクスピア4大悲劇のひとつですね」。
「よくご存知です。しかし、読んだことはない。ですね?」。
 探偵は、部屋の隅に歩き、そこにある加湿器を片手で持ち上げ、机の近くに置いた。
「本に湿気は禁物です。ただ、適度な湿度も必要。おまけに私の喉の調子がいまいち。よろしいですか?」。
 そう言って、加湿器のスイッチを入れた。白い蒸気がかすかに吹き出し始める。

「面白い説があります。というのは、マクベスを書いていた頃、シェイクスピアはもうひとつの戯曲を並行して書いていた。なんだかわかりますか」。
「いえ、すいません、うとくって」。
「説ですから、知らなくてもなんら問題はありません。それは、です。ハムレットだと言うのです」。
「えっ、4大悲劇のうちの2つをいっしょに書いていた。それはちょっと驚きです」。
 加湿器からの蒸気は、心無しか勢いが増したように見える。

「生きるべきか、死すべきか。ハムレットは簒奪された王の子供。父の無念を晴らすために、復讐すべきか否か。その魂は迷う。ああ、優柔不断なハムレット!」。
「どうするんだ、ハムレット!」。
青年は思わず、文庫本・マクベスを胸の前に掲げた。
「合いの手は禁止です」。
 探偵はそう言って、軽く咳払いをした。
「しかし、マクベスはやってしまった。不思議な予言に導かれるまま。妃に欲望の炎をかき立てられ。簒奪を実行し、自らが王になることを選んだ。それは栄光か、はたまた破滅か」。
「でも、欲望は叶えられたんですね」。
 青年は、ぐっと身を前に乗り出した。手にはマクベス。目はらんらんと光っている。

「妃が葛藤するマクベスに言うのです。“考えていらっしゃる御自分と、思いきった行動をなさる御自分と、その二つが一緒になるのを恐れておいでなのですね?”」。
「わかります!そこです、僕の苦悩も!」
「妃は、続ける。“魚は食いたい、足は濡らしたくないの猫そっくり”」。
 長身の探偵はセリフを立ちながら暗唱した。声高らかに歌うように、まるで舞台に立っているように、空気を震わせ、そして本棚も震わせて。
「そうだ、妃はこうやって、とどめを刺すのだ。“そうして一生をだらだらとお過ごしになるおつもり?”」
「ああ!」。
 青年は深い吐息をつくと、天井を祈るように仰いだ。頭のなかでは、そうして一生をだらだらと過ごすつもり?という問いかけがぐるぐる巡る。

 静まり返った部屋。いつの間にか白い水蒸気でいっぱいになっている。まるでそれは霧のよう。

 探偵は青年に優しく語りかける。
「目を閉じましょう。さぁ、小さな領主であるあなたは、今、スコットランドの荒地を馬に乗り、ゆっくりと走っている。分厚い騎士の鎧を身にまとい、戦いのあとの興奮と虚無に身を包んでいる。何も見えない、見えるのはただ霧だけ」。
 青年は探偵の言う世界に没入してゆく。馬のいななきと、兵士たちの武具の触れ合う音が、遠い追憶のように聞こえる。

「三人の魔女が霧の奥から幻のように現れます。そして、あなたに凱旋のラッパさながらに語りかけるのです。お祝いを申し上げます、やがて王になられるお方!」。
 
 青年は目を閉じながら考えた。
自分の未来が見られたらどんなにかいいだろう、と思ったこと。
受験勉強をしている頃、その思いを彼女(今の妻だ)に言うと、未来が見えるなんてそんな危険なことはよくないわ、だって、もしあなたにすべての受験に失敗した未来が見えたら、こうやって勉強することもやめてしまう。未来が見えないから欲望のエンジンを動かすことができるのよ。
 その時も、ふたりがいる予備校近くの駅のホームは、夜の霧に包まれていた。そして今、青年はスコットランドの荒れ地にもいる。ふたつのイメージが重なりごっちゃになる・・・・。

 パシッ!と指の鳴る音が聞こえた。青年はリアルに戻された。探偵は、「さ、目覚めましょう」と言って、加湿器のスイッチを切った。
「マクベスになるか、ハムレットになるか。それはあなたにお任せします。どちらが裏か表か。あなたが読み解いてください」。
 青年は霧が少しづつ薄れてゆくなかで、
「催眠でしたか?」と訊いた。
「多少の心得はあります。特技がないと今どき探偵は食べてゆけません。あ、そう、プレゼントがあります」。
 探偵は、机の引き出しから、ごそごそと細長いものを引っ張り出し、青年の前に置いた。
「おーっ、短剣ですね」。
 中世ヨーロッパ風のエンブレムがついた短剣を青年は勢いよく鞘から引き抜き、霧のなかにかざした。
「これで誰かを、たとえばあの嫌いな上司を一思いにやれ、ということですか」。
探偵は、ほほ笑みながら、
「いやいや、おもちゃですよ。その刃では蟻の一匹も切れないでしょう。私とあなたが会った記念です」。
 そして、探偵は指を一本立てて言った。
「霧のなかで欲望の幻にあった時にお役立てください」。

 マクベス一冊と短剣一振りをバッグに入れて、青年はアパートを出た。月がきれいだった。とりあえず、今日は妻の手料理を食べて、風呂に入って、早めに寝ようと思った。

          (終わり)

第1話『本の探偵、登場』
第2話『マクベスは君だ』
第3話『彼女の些細で深い悩み』
第4話『ほら、風の又三郎がいるよ』


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黒澤晃

黒澤晃

黒澤晃 Akira Kurosawa 1978年、広告会社・博報堂に入社。コピーライター、のちクリエイティブディレクターになる。数々のコミュニケーション戦略を立案し、ブランド広告を実施。多くのクリエイターの先生役も務めた。2013年、博報堂から独立。著書「マーケティング・センスの磨き方」(マイナビ出版)「これから、絶対、コピーライター」(宣伝会議)など ◎ホームページ:ことば℃