人生の教科書を探して 第3話「彼女の些細で深い悩み」

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今日は本を読もう-01

 東京のとある街のとある小路に、本の探偵の事務所はあった。夜7時ころ、山下由季子は、GPSで何度も確かめながら、その古いアパートを探しあてた。

<あなたの人生の悩みを、たった一冊の本が解決してしまうことがあります。迷路から抜け出せる本を、古今東西の本より、当事務所がお探しします。>

 雑誌の片隅に載った小さな広告コピーに、由季子はコトリと心を動かされた。
 そして、左手にその雑誌を持ったまま、右手でスマホに連絡先のアドレスを打ち込んだ。

 「ようこそ、本の探偵事務所へ」。
本棚が何列も並んだ本の森に、由季子は通された。
 背が高く細身の探偵は微かに笑みを浮かべながら言った。
「コーヒーを淹れますから、その間、書庫を逍遥していてください」。

 由季子は<逍遥>しながら、天井に届きそうな本棚たちに圧倒された。
 灯りの下の本は分類分けがなされているようで、なされていない変な配列をしていた。たとえば、ヘルマンヘッセの「車輪の下」の隣に、梶井基次郎の「檸檬」がある。SF小説が並んでいるかと思うと、その間にアインシュタインの自伝がぽつりとある。そして写真集の類いはどうやら一冊もない。図書館や大型書店に慣れている由季子が初めて体験する不思議な乱雑だった。

「はい、ここに置いておきます」。大きなデスクの端にコーヒーは置かれ、その前に由季子は座った。
 本の森に、香ばしいコーヒーの匂いが漂う。時間がゆっくりと動き始め、やがては止まってしまんじゃないかと感じる。電源を切った扇風機の羽根のようにクルックルッと。

「さ、お話しください。大雑把には、メールで理解しているつもりですが」。

 由季子はトツトツと話し始める。
「ワタシはデザイナーをやっています。30歳の誕生日に、勤めていた制作会社を辞め、3年前、事務所を立ち上げました。広告のデザインが主な仕事です。なんとかやっている状態です」。
 コーヒーを飲む。とてもおいしい、こんなにおいしいコーヒーには、ずいぶん会っていなかったと思う。

「この1年ほど,投稿写真のサイトに写真を上げていますが、なかなか、いいね!が押されません。プロの写真家ではありませんが、デザイナーですから審美眼みたいなものはあるつもりですし、美大でも勉強しました。なぜなんだろう、と思い始めたんです」。
「発端はそこなのですね」。紺のジャケットに白いシャツの探偵は身を乗り出した。
「そうなんです、些細なことなんですが、気になり始めました。そして、毎日が忙しくて気がついていなかったことに、やっと気がついたんです」。

 探偵の目を由季子はまっすぐ見つめる。父と同じくらいの歳だろうか。昔、活躍していた俳優の誰かの目にどこか似ている。一見無表情だが、眼差しは強い。

「仕事がいつの間にか、転がす仕事ばかりになっていたのを発見したのです。一週間後に、こんなふうにやっておいて、と言われるような仕事ばかり。細かい部分に自分なりのこだわりを入れることもできますから、安心していたんです。ワタシのアイデアや考えで創ってゆく仕事がほとんどなかったのです」。
「事務所を立ち上げた頃には、そんなクリエイティビティがある仕事もあったのですか?」
「はい。ありました」。
「あなたの望む未来は先細っていったわけですね」。
 部屋は静かで、クルックルッと時は止まりつつあった。深い森のなかに、由季子と探偵はふたりぼっちでいた。

「転がす仕事だけなら、確実に10年後にはなくなります、AIの発達で。生み出す仕事でなければもう必要はないのです。そもそもやり甲斐もないし」。
「いいね!は付き合いで押す人も多いと聞きましたが」。
「そうですね、確かに。でも写真投稿サイトは、写真の強さ、アイデア、その裏にある人柄とかが、まだ反映されていると思います」。

 探偵は、腕組をしながら言った。
「あなたには、人を惹きつける何かが足りない。そういうことですね」。

 由季子は、一瞬、天井を仰いだ。
「そうです。そう思いたくはないのですが」。

「美大に入られたということは、小さい時から、自分の創造性で世の中を動かしたいと考えてきたはずですね」。
「よくわかりましたね、ズバリです」。
「あなたの瞳は、純粋さで輝いています。そういう人は、小さい時から夢を持っているものです」。

 由季子の心が、探偵事務所の広告コピーを見た時のように、またコトリと動いた。

 探偵は、低いが良く通る声で続けた。
「承認欲求をかなえるためには、承認されるべき己の能力が必要だ。あなたはそのことに、切実に気がついた。承認とは夢への第一歩」。

「ワタシは、このまま仕事を続けていいのでしょうか。創造性を承認されないままやっていても、処理屋になるだけではないでしょうか」。
 由季子は、コーヒーを飲む、少し冷めてもおいしさは変わらない。探偵はどこでこのスゴ腕を磨いたのだろうか。

「たかが、SNSごときでとも思うのですが。なぜか引っかかっていて。深夜ひとりになったりすると、ふと不安が満ちてくる時があります」。

「わかりました。しばしお待ちください」。
 探偵は、立ち上がると靴音をコツコツと響かせながら、部屋の一角、つまり本の森の奥に分け入り、やがて戻って来た。

 「あなたに会わせたい本があります」。
そして、由季子の目の前に本をゆっくりと滑らせた。

「宮沢賢治作。風の又三郎。昭和30年あかね書房版です」。
  

(次回に続く)


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牧野圭太 Keita Makino 1984年生まれ 。コピーライターが読書を通して考えたことを書いていきます。テーマはことばやデザインやその他もろもろ。
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