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人生の教科書を探して 第5話 『再会まで30年』

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今日は本を読もう-01

 おやじから、突然の呼び出しがきた。
「明日の朝、店にて待つ」と携帯に短いメール。
 おやじは、そろそろ80才を過ぎる。年の差は親子だが血縁はない。
 きっと店の手伝いだろう、探偵は思う。おやじには、もう肉体労働はかなり無理なのだ。
 ま、いい。いずれにしても断るわけにはいかない。日本海溝の深さほどの恩がある。

 次の朝、麻の夏用のジャケットの下に、Tシャツを着た。無地の白。いくらでも汗をかける臨戦態勢。

 早朝7時。神保町の古本街は息をひそめ、ひっそりしていた。晩夏の陽射しが、中途半端な熱量を放って、一日を始めようとしている。それでも、そこそこ日中は暑くなるだろう。

 お茶の水の駅が探偵は好きで、地下鉄を使わずJRを使い、古本街にいつもゆく。駿河台の高台にある駅から、ゆっくりと坂を下るのだが、その両脇の風景に心ひかれ、気分で曲がった小道の発見にひかれる。

 学生たちが頻繁に行き交う、色鮮やかな青春の濃度。由緒ある街なのに、若い伸びゆくチカラがどこかにヒタヒタと沁みている。江戸からの街に、音楽や芸術や演劇のカルチャーが地下水脈のように流れていることを感じ、胸がコトコト動く。

 その坂の底にある古書店の街。おやじの古書店「時空書房」は、靖国通りと、すずらん通りの間の路地にある。
「何にも変わっていない」。朝の光のなか、その店の前に立った時、探偵はそう思った。「あの日と、少しも」

 事件は、30年前、この路上で起きた。
 
 いきなりドンと黒い影が探偵にぶつかった。なんの前触れもなく、唐突すぎるほど唐突に。
 衝撃は凄まじかったが、そのエネルギーは人を吹き飛ばすものではなく、人のカラダに溜まって中から崩壊させるようなものだった。

 探偵は大学生だった。演劇サークルの仲間と、画材屋の「檸檬」の裏手の居酒屋でしこたま飲んだあと、古本街で酔い覚ましのコーヒーでも、と坂を下ってきたのだった。
 夜10時頃だっただろうか。途中のパチンコ屋の前を通る時、軍艦マーチが鳴っていたから、閉店時間の10時くらいだったと記憶している。

 ひとりだった。ただ自分の影のように、誰かが自分のあとをついて来ているような感覚はあった。その時は、酩酊状態が生み出す意識の幻影かもしれないと思っていた。
 コツコツと小さな音が自分の後ろで響いていた。いや、響いていたような気がする。いや、それは自分の使い古した革靴の悲しいつぶやきだったかもしれない。
 捨て去ってきた「思い」や「事柄」が、怨霊のように追いかけて、夜深く沈んだ街に音を響かせていた。コツコツ、コツコツ、コツコツ。
 気になるが、振り向いてはいけない。探偵はそう思いながら、坂の底にずんずんと降りていった。

 衝撃は正面から来た。ドンと。解き放たれた暴力の一撃。
 若き日の探偵は、背の高い体を折り曲げながら、ゆっくりと地面に前のめりに倒れ込んでいった。意識は、「あっー」と声にならないうめきを、2、3秒発しているうちに混濁し、消えていった・・・。

 「おはようございます」。
 時空書房の奥で、おやじが老眼鏡をかけて、座りながらノートに顔をうずめていた。
 おやじは顔をあげると、ガラス戸を開けた探偵に懐かしく笑って、
「よ、おはよう。ひさしぶり」と言った。「相変わらずでかいな、おまえさんは。急に店が狭くなっちまう」。

 身長180センチ、今の時代、飛び抜けてでかくはないのだが。しかし30平米ほどしかない時空書房では、体格のいい客がすれ違うのはなかなか困難だ。要は店が狭いんじゃないか。
 
 「先日、大量仕入れがあってね。
遺品の整理だよ。戦後派文学の良書がたくさんあった。僕も故人のお宅にうかがって、書庫にほぼ一日はりついてたよ」。
 100冊ほどの純文学を引き取ったという。貴重な初版本も多く、保存状態も良好。売れ筋のものは店頭に出し、あとは倉庫に収納しておき、機を見て店頭にデビューさせる。
 今日、呼び出された理由が、探偵にはもうわかった。棚を、仕入れた本と入れ替え、つくり替えるのだ。
 単純な入れ替え作業なら、バイトを雇えばいいのだが、そう簡単にはいかない。
 戦後派文学のコーナーを新設するとして、人気の三島や大江は、他の棚から移してくる必要がある。単行本は移すが、文庫本は移さないのか、空いたスペースには何を置くのか、そもそも100冊のなかから何をピックアップするか、その新設コーナーはどこにするのか、など、複雑なパズルを解くような知的作業が必要なのだ。

 それができる人間はどんな資質が必要なのか。
 本に対する深い知識と愛情。そして、需要と供給への鋭い洞察。このふたつが必須であり、それを裏打ちする豊富な経験と勘が必要なのだ。
 そう、プラス、時空書房では、高い棚を自由にハンドリングできる身長が必要というわけだ。

「この時代の本には、かなり書き込みがあるんだが、調べた限りひとつもない。ひとつも!」。
 探偵は、おやじの満足げな目を見ながら、黙ってうなづいた。
 おやじは探偵にノートを見せた。
 三島・・野間・・大岡・・大江・・
福永・・。それぞれの作家の名前の下には、作品名・版元・発行年月日・保存状態が細かい文字でびっしりと書かれていた。

 探偵の目は光り始める。
「実存主義もありますね。埴谷・・安部・・サルトルの翻訳・・・」。
「さぁ、仕事だよ。本の入れ替えだ!」
おやじは、満面の笑みで皺をくしゃくしゃにして、言った。

「そうだ、倉庫を整理していたら、
懐かしい本が見つかった!」。
 おやじは、本の山のなかから大切そうに一冊の文庫本を取り出す。

 そして、その本を探偵の目の前に、
かざして見せた。本のまんなかには、5、6センチほどの穴が空いている。深くえぐられて空いている。

 「30年前、おまえさんの胸ポケットに実存していた本だ。ひとりの女が、おまえさんの命を救ったってわけさ」。

 探偵は心がときめいた。30年ぶりの再会だから当然な感情だ。
 おやじは探偵の胸ポッケットのあたりをトントンと叩いて言った。

 「さ、時空を超え、元の持ち主にもどりたまえ!阿部公房の<砂の女>よ!」。

(つづく)

第1話『本の探偵、登場』
第2話『マクベスは君だ』
第3話『彼女の些細で深い悩み』
第4話『ほら、風の又三郎がいるよ』

 

 
 


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黒澤晃

黒澤晃

黒澤晃 Akira Kurosawa 1978年、広告会社・博報堂に入社。コピーライター、のちクリエイティブディレクターになる。数々のコミュニケーション戦略を立案し、ブランド広告を実施。多くのクリエイターの先生役も務めた。2013年、博報堂から独立。著書「マーケティング・センスの磨き方」(マイナビ出版)「これから、絶対、コピーライター」(宣伝会議)など ◎ホームページ:ことば℃